2004年12月30日、創作文芸サークルArrowは下記の頒布活動を行った。
葬儀屋アルケミストオールマテリアル(新刊):17部
the One ――ただ、唯一の :6部
葬儀屋アルケミスト:15部
熱帯魚と死者の夜。:5部
魔法使い(無料頒布):24部
総売上:5000円
詳細は以下のファイルを参照されたい。(Excelファイル。読めない奴など知ったことか)
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頒布結果だが、一口に言って成功だと思われる。前回のかなり悲惨な頒布数からすると、著しく改善している。新刊の頒布数としては、前々回のC65と大きく変化はないが、総売上高がかなり伸びている。これは、新刊の価格が200円であったことが大きいが、頒布物のラインナップが増えたことによる売り上げ冊数の増加が寄与するところも大きい。そうした意味では、Arrowの今までの活動の成果が現れたとも言えるだろう。
販売戦略に関しては、基本的にはこちらのC65におけるArrow販売戦略分析 で述べたものと同様で行った。しかし、今回は無料頒布数が少なく12時過ぎには切れてしまったため、Popを作成するなどのてこ入れを行った。また、今回は新刊の表紙が萌え絵であり、この絵を使用したPopは非常にアピール度が大きかったことを突起特記しておきたい。私も非常に(*´д`;)であると思う。
前回と今回の頒布活動の結果、既存の頒布戦略の限界と対策が見えてきたので、以下に記す。
まず、「C65における~」での第一・第二段階に対応する戦術であるノートPCによるパワーポイントのデモだが、それほど販売につながっているように感じていない。確かに目には留めてもらえるのだが、その後手にとってもらうところまでつながる場合は少ない。しかし、これはある程度予想したことである。問題は、目に止まっただけでデモの内容が認識されていないのではないかと考えている。これは、第一・第二段階あわせても数秒しかないという構造的問題である。よって、デモの内容はどのシーンでも数秒で何らかの印象を相手に与える必要がある。
また、今回で頒布物は5種類に達しており、全て順番に表示していると1作品当たりの表示時間が短くなることも、有効に訴求できていないことの原因の一つであろう。
よって、途中から新作のページのみを表示に切り替えた。この後すぐに電池が切れてしまったため実際の効果は不明だが、次回以降もフォーカスを絞ったものにすべきであると考えている。
次に、第三段階の無料頒布であるが、これは足を止めてもらう戦術としては依然として有効であると考える。今回、頒布ペースについて詳細なデータを測定したので、これに関しては別稿で述べたい。
最後に「C65における~」で一般的な方法が提示されていない、手にとってもらう段階の戦術である。特に前回、足を止めてもらった後に実際に頒布つながっていないことが問題だと感じており、何らかの手を打つべきだと考えていたが、今回ノートPCの電池が予想より早くなくなってしまったため、Popを作成したことがこの解決策になっているのではないかと考えている。今までは、興味を持って足を止めていただいた方に対しては口頭での説明しかなかったのだが、文字に比べて口頭での伝達は単位時間当たりの伝送量が低い。口頭でも定型の説明が多くなる傾向があるので、Popより有効に頒布物に対する情報を伝達できているとは思えない。今までPopを用意していなかったことの方が手落ちであると考えている。
また、全体として頒布物自体の体裁が貧弱であると感じている。今回、表紙に萌え絵を起用し、同時に表紙の紙を上質なものを使用したが、単価が200円であったにもかかわらず、良好な頒布実績を上げている。内容を検討するのが難しいという創作文芸の性質上、多少単価が上がったとしても第一印象を浴するために体裁にこだわることは必要であると考えている。
しかし、コピー本である以上はそれほど見栄えを上げることはかけられる手間からしても難しい。よって、見本誌を一刷用意し、カバーをかけるなどして一見した見た目を上げることを提案したい。これは長くやっていると思われるサークルがよく行っていることであるが、立ち読みによって頒布物が傷まないなどの利点もある。
これをさらにPopでの訴求と合わせ、見本誌に帯をつけることを検討している。デザイン的にも目を引くことと、Popより文字を書くことのできる面積を大きく確保できることが理由である。これには24Pt程度のフォントで2行程度のコピーを書くことができると考えている。印象に残るキャッチコピーを考えるのは難しいが、うまいコピーがあれば目を留めていただいたお客様へ非常に有効に訴求できるのではないかと考えている。
今日はKOTOKOのライブに行ってまいりました。
都合が付かなかった人に、チケットを実費で譲ってもらったのですよ。
結局独りで行くことになったわけですが、楽しかったですね。
ああいうのは積極的に楽しまないと。
乗りきれていないと逆に微妙テンションになりますからね。
サイリュームを持っていかなかったのが、やや悔やまれますが、
「振らなきゃ!」という妙な強迫観念に囚われなかったので、逆に良かったかも(笑
せっかくだから、今更のように「羽-hane-」を買ってみたら、
ビームサーベルをくれました。
一説によると直筆サイン入りだそうです。
あとは、ライブ終了後に出口で全員に「じっくりコトコト煮込んだスープ」が配られてましたので、もらってきました。ポッカとのコラボレーションだそうで。
贅沢クラムチャウダーらしいですよ?
DDIポケット、256k端末を発表 - AirH" Phone向けにも「高速化サービス」提供(ネタ元:usePocket)
usePocketさんでまとめがありますので、お急ぎの方はそちらを参照。
味ポン向けも相当強化されるようです。
3Gで定額が出揃ったようですが、直接これに対抗するのは無理でしょうな。
あれはあれで別の生態系なので、比べるのはナンセンスですが。
某N社はミカカDの先棒を担いで海外向け携帯電話もせっせと作っているわけですが、
iモードはとうとう爆発的に対応地域を増やしました。
いいからリンク先の対応予定図見れ。
笑えるから。
面積何倍になってるんだよ。。。
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でも、ロシアは町からちょっと離れるとケータイ通じなくなる予感。
人口カバー率が95%くらいあっても、面積カバー率が5%くらいしかなさそう。。。
情報処理技術者の秋試験でテクニカルエンジニア・ネットワークに合格しました。
得点は、
午前:670
午後I:640
午後II:615
なかなかぎりぎり。
午前はかなりできたと思ったんですが、それほど点が伸びませんでしたね。
たぶん、みんなできなかった問題ができなかったんでしょう。
どうやらこれは誤報のようなんですが、もし本当だったらえらいことです。
念の為ビザ(査証)について説明すると、
本邦に入国しようとする外国人の所持する旅券(パスポート)に付与する
「入国のための推薦」、あるいは当該外国人の所持する旅券が真正であり、
表示の範囲で本邦入国(滞在)を認定するとの「裏書き」
といったものです。
得体の知れない人物を入国させないための仕組みですが、
観光ビザなどは特に前科などなければ普通に取得できるものです。
逆に言えば、ビザを免除するというのは犯罪者でもパスポートだけで入国できるようになるということで、
当該国の国民に相当信頼を置けないと実施できないことです。
韓国は果たして日本にとって信頼できる相手でしょうか?
確かにまともな韓国人も多いでしょうが、そうした人は申請すれば取得できます。
相手の国民全てに対して一定以上信頼できなければ、やってはいけないことなのです。
愛知万博期間中は韓国に対して観光ビザを免除するようですが、
期間限定でもリスクが高いのに、恒久免除なんてとんでもない。
一度恒久免除してしまえば、なかなか元には戻せないものです。
もし日韓FTAが締結されれば日韓の人的交流も増えるでしょうが、
そうなったとしてもビザの免除はすべきではありません。
日本が免除されていることに対する相互主義なんていうのは、
この問題では適用すべきではないと思います。
思うところがある方は、コメントをいただければ。
「思考によるコンピュータの操作」に成功(ITmedia)
> 手術やインプラントは不要だ。この実験では電極を付けた帽子を使って脳波を記録し、それをコンピュータへの命令に変換した。
だめだ!
わかってない!
インプラントしないとだめなんだ!
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せっかくこの時代に生まれたんだから、死ぬまでにインプラント手術の1つや2つはしてみたいですよねえ?
この帽子はサイバーはサイバーなんですが、浪漫がないですね。
単に障害のある人のための便利な道具じゃないですか。
リスクを!
取り返しの付かない巨大なリスクを!
___ ∧w∧ ∬ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
@′ ( ゚Д゚)⊃旦 < とりあえず落ち着け。
U U ̄ ̄ U \_____________
いや、言いたい事は、思考と記憶が電子回路に直結しないと人類は自らを超えられないということなんですよ。
思考は電子回路を螺旋に組み込み、爆発的に加速する。
連想は潜在知を超え、ネットワークを駆け巡る。
共感は物理的な壁を破り、新たな関係が乾いた大地に広がっていく。
そして人類は脳が焼ききれるまで形而上の世界でダンスを踊り、滅びるのです。
米IBM、PC事業をLenovoに売却 ~世界3位の新PCメーカー設立へ (PC watch)
→プレスリリース
いやはや、驚きですな。
そんなに儲かってるとは思いませんでしたが、PC事業は対外的にも大きな柱のはず。
日本の電機メーカーには出来そうにない決断です。
しかし、リスクが低い賭けではありません。
IBM-Lenovoに「明日のThinkPad」がもたらすリスク(ITmedia)
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私はもうThinkpadは買わないでしょう。
中国製の品質は以前より格段に上がったとはいえ、それは製造面の話です。
設計面での実績はそれほどありません。
パソコンなんてコモディティ化して久しいですから、リファレンス的なものを作るのは難しくないでしょうが、リファレンス的なThinkpadなんて誰が買うんです?
あの堅牢性があってのThinkpadでしょう?
国際仕事機械じゃないThinkpadなんていらないです。
さて、日本IBMの去就が気になるところですね。
LenovoへのPC事業売却発表を受けて、日本IBM大歳社長がコメント(ITmedia)
> 日本IBM広報によると、今回のPC事業売却による日本国内の事業への影響については現時点では不明としている。
Thinkpadは日本で設計していたわけですが、その部隊はそのまま聯想集団に転籍するんですかね?
ばたばた辞めるんじゃないかなあ。
国内のPCメーカから引き合いもかなりあるだろうし。
ともあれ、一つの時代が終わったという感じがしますね。
AT互換機はIBMから始まったものですから。
そうした意味ではこちらの記事は興味深いですね。
終わりの始まり、始まりの終わり
確かにPCは既に「普通の道具」になってしまったわけですが、
日常的に使う道具だからこそこだわる人もいると思うんですよね。
特に日本はそういう市場ですから、まだ終わらないと思いたいです。
Let's note W2みたいな尖がったパソコンが開発されていますし、
まだノートPCにシズマドライブは搭載されてないわけですから。
逆にそういう弾が長期的にないからIBMは手放したのかもしれませんね。
もえたん2の予約をネットしたんですよ。
で、確認のメールを見たら、
> お届け方法: まとめ配送
とか書いてあるんです。
あー、やってもうた。
下巻出るのいつだよ。。。
でも面倒だからこのままでいいや。(ぇー
また親父殿対話から。
少し前に、会社組織での役割分担について聞いた話があります。
担当は今日の仕事をし、
主任は1週間後のための仕事をし、
課長は1ヶ月後のための仕事をし、
部長は3ヵ月後のための仕事をし、
事業部長は1年後のための仕事をし、
社長は3年後のための仕事をする。
これは、立場によって見るべき視点が異なっているということで、
上に立つ人間は、より遠くを見るべきだということです。
(数字はうろおぼえですが)
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この論に立って言うと、
官僚は10年後のための仕事をし、
政治家は30年後のための仕事をする。
ぐらいの視野の広さを持ってしかるべきなんですが、
日本の政治家は3年後のことすら見えてないような雰囲気ですね。
利益誘導型の政治構造では、地元のことしか見ないのでしょうが、
30年後の「国のかたち」というものを考えるべき立場の人がそれを放棄しているのは、とても問題だと思っています。
もちろん、根本的にはそういう代表を選ばない有権者に問題があるわけですが。
これは、政治家だけでなく社会全体に通じる問題なんでしょうね。
アメリカに追いついて以降、新しい目標を見出せず、未来のイメージが描けない。
技術革新でもそうですが、具体的なイメージが描けなければ実際の活動はほとんどできないものです。
日本国民の多数が同意できる、目指すべき国の姿というものが求められている時代なのでしょう。
誰かがそれを打ち出さねばならない。
私が思うに、別に30年後に今より飛躍的に発展する必要はないのです。
日本は戦後50年かけて十分発展したと私は思っています。
むしろ、今の位置を守ることこそ喫緊の課題でしょう。
日本は、自らの人口を養うことがことができる国土を持っていません。
食っていくには、ものを作って売るしかないのです。
熾烈な国際競争を勝ち抜いて、世界にメイドインジャパンを売りさばく状態でなければ、長期的には食うに困る状態にまで落ちるでしょう。
実際、戦争中がそうでした。
当時、日本本土に8000万人の人口があったそうですが、戦争中はそれが食っていけなかった。
今は農業技術が発達しましたが、1億人は無理でしょう。
だいたい2050年くらいに人口は1億人くらいまで減ると予想されているそうですが、50年という時間は国際競争力を失うには十分な時間です。
その時代に向けて今の力をどのように維持するか、というのは、遠い未来の話題ではなく、今から取り組むべき課題でしょう。
いや、やるべきことは簡単ですよ?
一人一人が自分の仕事を真面目にやる。
これだけです。
ただ、立場にあった視点を持つ必要がある。
それが役割分担ですから。
こんな場末の書生みたいのが騒ぐのは、そういう意味では大した価値はないのです。
年をとると時間の流れるのを速く感じるって言いますよね。
実際、就職してから非常に速く感じているわけですが、
その原因にひとつ思い当たりました。
個人が所有する時間の公私の割合の変化です。
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一人の人間の時間の使い方というのは、大きく分けて二つに分けられます。
即ち、公の時間と私(ワタクシ)の時間です。
人間の生活というのは、社会生活を維持するために行う公の部分と、
個人の欲求を満たすために行う私の部分に分けることが出来ると思います。
もちろん、厳密に分けられない場合もありますが、それは両方の側面があるというだけで、
この原則から外れるわけではありません。
公の時間というのは、学生であれば学校などでの勉強であり、
社会人であれば仕事をしている時間です。
こうした時間では、定型化された作業が多くなります。
そうすると、印象に残りにくいんですね。
たとえ創造的な仕事であっても、日常になってしまえば起伏には乏しくなります。
何をやってたか指折り数えて思い出すことは出来ても、全体の印象としては薄くなります。
それに対して、私の時間、特に好きなことをやっている時間は、イベント的なことも多く、起伏は大きくなります。
また、自分を中心として認識世界が展開されますし、行動も身近で実感に残りやすいです。
よって、公的な時間より私的な側面の強い時間の方が記憶に残りやすくなります。
また、仕事の時間が印象に残りにくいもう一つの理由は、他の時間とリンクしてないことです。
季節などとは関係なく、せいぜいFinantial yearと関係があるくらいでしょう。
私的な時間ともリンクしておらず、独立して流れます。
人間の記憶というのは関連で成り立っていますから、関連することが少なければ印象も少ないというものでしょう。
振り返ってみたときの実感としての時間経過は、記憶の濃淡で色づけされたものであり、
薄い日々の繰り返しとなれば速く感じてしまうのと当然と言えましょう。
社会人になってから時間が過ぎたのを速く感じるのも当然で、
今まで公的な活動の拘束時間が移動なども含めてもせいぜい6,7時間だったのが、
10時間を越えて私的な時間が1日2,3時間もない、という状態になれば、
そんな日々は印象に残りません。
年をとるにつれ時間を短く感じるようになるのは、
社会生活に関わる時間的コストを自分で負担する必要が多くなり、
残り時間がどんどん短くなるからということでしょうね。
と、ここまで書いたところで、この話はどこかで読んだ話のような気がしてきた。
澱のように溜まっていた記憶が浮かび上がってきたときは、自分で思いついたように錯覚してしまうもののようです。
記憶とは奥が深いものですね。